別れの季節

今日は極めて個人的な内容で。
いや、私の日記だから別にわざわざ断る必要ないんだが。w

5年半にわたって放送され、私もちょくちょく聴いていた某ラジオ番組が今月いっぱいで終わるようです。
 
私は中一のときからラジオっ子でFMの深夜帯を中心に「ラジ王」「DEEPER STREET」「ラジオ黄金時代」「嘉門達夫の爆裂スーパーファンタジー」「赤坂泰彦のミリオンナイツ」等々聴いてきましたが、今は全部終わっちゃいました。こういうのはいつまで経っても寂しいですな。(私の中でのキングオブDJはINFIXの長友仍世さん) 
 
そうなんです。率直に言ってどうもなんだか最近寂しい。これがちょっと表現が難しい。
「あたい、寂しくて死にそう・・・」などということは全くないんだが、漠然と寂しい。大好きなラジオ番組が終わったり、親しい人と別れたりということは何度も経験してきたことなんでこれには慣れているというか、この寂しさはハッキリと自覚できるものなんですが、今感じているのは「5年前と比べるとなんとなく寂しくなってる」という寂しさ。


昔と比べて何がそんなに寂しいんだろう、よく考えてみたら私は昔ほど、チャットで特定の人たちと定期的に喋ったり、ネットの知り合いのサイトに行って掲示板に書き込みすることがなくなっていたことに気が付きました。実社会での人付き合いの頻度にさほど変わりは無いけれど、ネット上では引きこもりがちになっている(というと言い過ぎだけど)ようです。

2chに行ってカキコはするけれど、あれは無名の人間になってのコミュニケーションなわけで。

無名と匿名は同じようで全然違います。匿名はプロフィールが隠れるだけでその人の同一性は保たれるけれど、無名はその同一性を保つ必要すらない*1から”私でない誰か”、”大勢の中の一人”となって集団に溶け込んでしまうわけですね。*2*3

”同一性の保たれた自分”としてのコミュニケーション、”マッドネス933”としてのコミュニケーションをやってなかったが故、感じていた寂しさだったのですね。

あー、この辺、浦沢直樹の「MONSTER」と重なるなぁ。
名前を奪われて生きるってきっと私が想像しているよりずっと寂しいことなのかも。


こうなったら流行りのSNSに参加しちゃったりしますか?ん?
ハマったらますます更新できなくなる予感・・・。


P.S.
FMリスナーの聖地、半蔵門(東京FM)には行ったけれど、よく考えたらもう一つの聖地・渋谷のスペイン坂スタジオには行ったことなかったなぁ。行く機会あるだろうか。

*1:その簡単な例が「自作自演」。

*2:あるカキコを自分が書いたかどうかさえ忘れてしまい、「お前は俺か?」と言った相手をよく見ると、自分と同じID・・・あれ?アテクシじゃありませんか!という現象が稀に起きる。実況板などで見かける。

*3:無名性・匿名性についての参考文献:「電車男」は誰なのか―“ネタ化”するコミュニケーション