研究メモ『巡回サイト選択基準における「面白さ」要素の二次性について』

  • あるサイトを訪れる人は、究極的には、どこかに貼られたリンクから来るか、ブックマークやアドレス入力などで直接来るかの2通りしかない。(検索は前者に含めておく)(”常連”と呼ばれる人は後者である)
  • 厳密に言うと常連は、”面白い”から”訪れる”人々ではなく、”面白かった”から”また訪れる”人々である。
  • 人は、世界のどこかに転がっている自分好みの面白い情報を自動的に探知できたりはしない。面白い情報がどこかに存在してもそこまでの道のりがわからないために知らないままで終わることも少なくない。
  • しかし、たまたま見つけた面白い情報があれば、「次もまた同じ場所で自分好みの新たな面白い情報に出会えるかも」と思う。
  • これが常連となる。
  • 「今、貴方が訪れている面白いサイト」と「貴方が未だ訪れたことのない面白いサイト」を隔てるものはこれだ。そこまでの道を知っているか、知らないか。
  • 私が言いたいのは、仮に、「面白さ」のみを巡回基準として様々なサイトを訪問する人が居ても、その人には「見れば面白いと感じられるはずだけど、訪れたことがない(=知らない)サイト」と「面白いと感じなかったけれど訪れたことがあるサイト」という2つが存在するということだ。他ならぬ「面白さ」がサイト巡回の一次的な要因とはなっていないからである。
  • ここから得られるのは、面白くなくても”そこへ繋がる道”さえあればサイトはアクセスを獲得するという事実である。(そのあとどうなるかは別として、まず、一時的には。)
  • つまり、あるサイトの総アクセス数の要素は「被リンク数」と「保持常連数」が主たるもので、これに「面白さ」は含まれないのだ。
  • よって、「面白さ」はアクセス増加の一次的な理由にならない。入り口であるリンクを増やせば増やすほど、常連の数を多くキープ出来れば出来るほど、アクセスは増える。「面白さ」はそれらを増やし易くするための二次的要素である。
  • これが所謂、「昔は面白かったけれど、今は更新頻度も質も全盛期より落ちて惰性で更新が行われているようなサイトに、これだけ精力的に活動してレベルの高いコンテンツをUPしている私がアクセスで負けているなんて納得がいかない」という現象の原因である。
  • アクセス数は「そのサイトの歴史・蓄積」であり、「そのサイトの現在の面白さ」ではない。昔面白かったけど今面白くないサイトに貴方の面白いサイトが勝てなくても不思議はない。そういう古いサイトほど、「被リンク数」や「保持常連数」は多いからだ。
  • 逆に言えば面白さなどなくてもこの2つを増やすことに専念すればアクセスはとりあえず増える。
  • 以上より、アクセス数を単純にランキング化すれば、「おおよそ面白いもの」「多くの人が面白いと思っているもの」「昔から面白いと思われ続けているもの」は見つかるが、「今、面白いもの」「みんなが1番面白いと思っているもの」を抽出することはできない。