「勉強しなさい」という大人は何を思う

勉強の意味という問いに決定的な答えはない。歴史上にはとんでもねえ哲学者がいっぱいいるのにわかない。それだけ難しいのだ。だから大人(歴史そのものとか長生きしている人とか)は「とりあえず勉強しなさい」とアドバイスするしかない。これは逃げの答えでもなんでもなく、積み重ねられた思惟・哲学・議論から導かれた最善の答えである。僕はわからないが、大人はわかっているんだろう。

『黒板ほ゜』より

きをふし氏の文意からは少々ズレてしまうけれど、大人たちが「勉強しなさい」と口を酸っぱくして言うのは、純粋に、学問することの意義を教えようとしているというよりは単に「学歴高い方が就職し易いし、出世し易いし、楽な暮らし出来るよ。子供のお前にはわからないだろうけれど、自分で金稼いで生活するって大変だぜ?だとしたら大人になって大変な想いするより、若いうちの一時期に辛い方が、人生全体からしてみれば楽じゃん?」ってことを言いたいんだろうと思う。

今の40代半ばが受験生のとき、センター試験がまだ共通一次と呼ばれ、受験必須科目が最も多く、受験戦争が一番過熱していた時代。その頃に比べればさすがに緩くなったはずだけれど、日本は未だに学歴社会だ。

私も中高生のときは「学歴社会なんてもう古い」などと思っていたけれど、就職活動を経て、「同じ時期にエントリーしたはずなのに、旧帝大の連中には説明会の連絡が早々と来て、2流国立の俺のところにはとうとう何の連絡も来なかった」なんていう現実(要するに学歴による足きりだが)に直面して、案外、こういう足きりって合理的なやり方かもなと思い直すようになった。たとえば、

  1. 就職試験一回分のコストを省くことができる。<経費節減
  1. 「就職試験1回を頑張った奴より、今までの人生で数々の試験を頑張ってきた奴のほうがいいに決まっている」という考え。
  1. 「学歴の高い奴は命令に従順で使い易そう」という考え。
  1. 「とりあえず他に優れた特徴ない同じような2人だったら、学歴高い方を採用した方がお得だろう」という考え。

企業の人事担当の立場で考えると、上のようなことは容易に思い浮かぶ。合理的だ。

話を戻そう。
「勉強しなさい」って、小中学生くらいのときに一番よく言われると思う。その親ならちょうど20代後半から40代前半、働き盛りに当たる。「同い年で、職歴は高卒の俺の方が長いけど、大卒のあいつの方が給料いい」なんて現実をとっくに目の当たりにしているだろう。当然、人間、学歴が全てではないけれど、もし自分と同じような道をたどるくらいなら自分より楽な人生歩ませたいと思うのが親心。

そりゃ、「勉強しなさいよ」って親は言いたくなるよね。