例の事件

なんでこういうことを突然書きたくなったのか自分で思い返したところ、たぶん、このコメントに引っかかるところがあったせいかも。

「反省の気持ちも更生する自信もない。第二の宮崎勤宅間守として世間に名前が残ればいい。(死刑判決を受けて)早くこの世とおさらばしたい」

例の奈良女児誘拐殺害事件の小林被告のコメントですよ。
これを見たとき
「うわぁ、この人もか」
という気持ちでした。

被害者のご両親は
「死刑以上の極刑を与えて欲しい」
とのコメント。これは当然の感情ですね。否定しようがありません。

それで私が思ったのは
「こりゃ、この先も同じような被告は出てくるな。」
ってこと。

被告に同情するつもりはないけど、彼は上のように言いたくもなるような人生送ってきたんでしょうね。もちろん、それが犯罪を犯していい理由にはなりませんが。

どうにかしてこういう人間を止めたいけれど、私たちの社会は今のところ何ら有効な手段がうててないでしょう?

こういうのなんですよねぇ。
こういうことを減らすために、個人レベルで出来ることがひょっとしてあるんじゃないかと妄想したりするんです。考えればなにがすっごいいいアイディアが浮かぶんじゃないかと。

絵空事かもしれないけれど。
ネットワーク科学だの、ゲーム理論ナッシュ均衡だの、バタフライ効果だの、
社会学の本を読んでると時々ふと思うんです。


死刑=極刑という考え方もねぇ……。
だって、宅間守なんて自殺のために死刑制度を利用したような節がありますしねぇ。
願ったり叶ったり、ってことでしょう?
私は当人にとって最大限の不快感と苦痛を伴う行為が極刑であって欲しいんですが。
でも、それを法律で規定するとなると難しいですしなぁ……。
法の下の平等”という考えにも抵触するだろうし。