自由という不自由

現代社会は自由と言う名の牢獄だ」なんてことをどこかの社会学者が言っていたような覚えがありますけれど、誰だったでしょうか。
 
近代の自由民主主義社会では何もかもが行動する本人の責任になってしまい、そんな社会に生きる我々はことあるごとに選択を迫られます。
進路もそう。アンケートもそう。選挙もそう。今晩のおかずだってそう。

学生のとき、ポーランドからお越しの某教授を天草というところにご案内したところ、お土産として何か買おうとされてたのか、スルメなどの海産物*1を熱心に見ておられたのですが、結局彼は何も買わなかったんですよ。それで帰りの車の中で
「人生には様々な選択の場面があるけれども、私は先ほど選択を放棄した。実に楽チンだったよ。」
てなことを英語で仰っていました。*2 *3


まぁそれはよしとしてこの辺からが本題でございます。私ははてなポイント稼ぎの為にアンケートの回答をよくやっているのですが、ときどきYES・NO二択で非常に迷うときがあるんですよね。
例えばこういうの。

http://www.hatena.ne.jp/1130138603

私としてはどちらでもいいんですよ。でもこういう場合どちらに投票すればよいのか。単純に自分の利益に適った方に何も考えず入れたほうが良いのか、はたまた色々な立場の人のことをよく考えて正しいと思った方に入れたほうが良いのか。

民主主義の多数決って、極論すれば全員のエゴをつき合わせてとりあえず一番数が多いものにしときゃ無難だろう、という選択の仕方なわけですよね。

前者の考え方だと何だか「多数派こそが正義」みたいになって何も考えてないような感じもするし。

でも後者の考え方で自分の希望に忠実に答えないと正確な統計が取れない気もするし・・・。(皆が皆反対意見に深く配慮すると「じゃあ、全体としては何を望んでるの?」というのが結局は見えにくくなってしまう。)

選択は難しい。

*1:やっぱヨーロッパ人にとってはああいうの珍しいらしい

*2:ネイティブじゃないから発音下手だったけれど私も英語苦手だったので特に何も返せませんでした。w

*3:話逸れるけど、英語ってネイティブじゃない人の発音の方が聞き取り易いよね。私はインド人の話す英語がとても聞き取り易いと思います。