命を物のように思っている人の自殺の止め方

まきこみ計画 :: ニートや引きこもりを追いつめるエールを読んでいて(川嶋氏に対する批判はちょっと言いすぎだと思う(苦笑))思い出したこと。
 
以前私は自殺の止め方について1というエントリーを書きました。
 
ここで「生きていればきっと良い事がある」という典型的なクソ役に立たない、死ぬ側の気持ちを微塵も考えない止め方の例を挙げておりますが、もう一つ、止め方じゃないけれど、自殺しようとしている人に対する批判と言うか説教と言うか、「本気で死ぬ気があれば他の事だって云々〜」ってのがありますよね。あれはいただけない。そんなポジティブな転換が出来る状態ならそもそも死のうとしないはず。励まし方がズレていると思う。
 
この系統で一番最悪なのが「どうせ死ぬんだったら云々〜」系の言葉。
曰く、「どうせ死ぬんだったら自衛隊に入って海外で国際貢献活動でも」
曰く、「どうせ死ぬんだったら財産を恵まれない人たちに」
曰く、「どうせ死ぬんだったら・・・・最後に一発・・・」(笑)
この手の言葉を発する人は表向きどうか知りませんが、心の奥底で人の命を物のように思っています。要注意です。

要するにその人の命自体をちっとも気にかけていない。
「命の無駄遣いは勿体無いから社会(または私)の為になるようなことして死んでね。」
ってことでしょう?

いや、私は「自分は人の命を物ぐらいにしか考えていない」と自覚している人がこの言葉を発するのは別に構わないとさえ思ってます。それは正直なだけだから。もう何が嫌ってこういう言葉を世の中を良くするつもり、遠まわしに反発心を煽って生きる力を与えようとしてるんだ!ってつもりで発する人。大嫌い。
 
最近私がいいなと思ったのは、栗山千明さんの出演しているCMのアレ。

命は大切だ。
命を大切に。
そんなこと、
何千何万回
言われるより、
「あなたが大切だ」
誰かが
そう言ってくれたら、
それだけで
生きていける。

同感です。
公共広告機構にしては珍しくイイこと言うじゃないかと思いました。(爆)
 
本当に、極限状態とか、殺人・自殺・差別・戦争・偏見等々のデリケートな話題に対する反応ってのは、人間の偽善を見抜くには持って来いですよ。