越え難い、食べ物の壁

バカの壁」っていう養老孟司さんのベストセラー、
ご存知の方も多いと思います。

「人間というは、自分の興味・関心の及ばないことについて深く理解しようとしたり、そのことについて積極的に知識を集めようとはしないので、これが相互理解を困難にしている」とかいうことを大脳生理学を交えつつ語った本。大体そんな内容だったと記憶してます。

ふと、思ったのですが。

人間同士が一番身近にして相互理解困難な事柄といったら
「嫌いな食べ物」
なのではないでしょうか。

「好きな食べ物」についても同じことが言えるかもしれませんが、どっちかといえば「嫌いな食べ物」、こちらの壁はより大きいような気がします。
 
私は賢明な両親の躾のお陰で、大抵のものは食べられるように育ちました。
感謝しております。
なので誰かと食事してて、ある食品だけを避けたり残したりしている場面に出くわすと
「えー、なんで?」
と感じることがしばしばあります。

ピーナッツやエビが食べられないという人に会ったことがありますが、彼らはアレルギー・体質的な問題でダメなようでした。これはまだ簡単に理解できます。「ああ、病気だし、仕方ないよね」と。実際、味自体はイヤというわけではなさそうでした。

あと、一般的に嫌われることが多い食べ物、たとえばニンジン、タマネギ、ピーマンなどの野菜類。(いずれも私は大好きなのですが。)その他味に特徴のある品々。
これもまだわかります。「ああ、あの苦味とか辛味が苦手なのかもね。」とか。

 
でも理解しがたかったのが
グリーンピースが嫌い」
「マッシュルームが嫌い」
という人でした。

シュウマイを食べていてグリーンピースだけどかしたり、スープに入っているマッシュルームだけ食べない人に会うわけです。

衝撃的でした。
それまで私はこれらの食べ物を
「え、嫌いになるほど味に特徴もないし、そもそも印象が薄すぎて、食事後に『さっきのあれ、○○が入ってたよね?』と聞かれても『あれ、そうだったっけ?』と返しそうになるほど存在感がないし……。」
と思っていたので。



意識すらしてくれない人と強烈に嫌悪している人。
食べ物にとっちゃ、どっちが幸せなんでしょうね。(苦笑)
 

人によってこうまで特徴的で、互いに理解しがたいのは、食事がその人の歴史や文化背景と密接に絡んでいるという事実の他に、思想や信条などと違って”食欲”という本能に直結している極めて個人的な行為だからかもしれません。



ちなみに私はというと、アルコールが嫌いというか、――――まぁ、好きか嫌いかで言えば嫌いだけれど――――あまり好きなほうではなく、「別に機会がなければ今後一生口にしなくてもいいや」とさえ思ってます。

これはお酒好きからすれば信じられない感情ではないでしょうか。